こんにちは。やぎです。
最近は日本も暑くなり始めてきましたね。
気温が上がってもジメジメしていて「ああ、日本の夏だなぁ」としみじみ思います。
もうすぐインドに帰るので、友人への日本のお土産を何にしようか迷っています。
ちなみにマニプールコロニーのリーダーは「こすると消えるペン」が欲しいと言っていたので、それを買っていこうと思っています(笑)
案外インド(田舎)には「こすると消えるペン」がないようで、コロニー訪問の際に使用していると
「ええ!!すごい!なにこれ使わせて!」とみんなが寄ってきて、人気者になれます(笑)
私はそんな、みんながキラキラした顔で驚き喜んでいる表情を見るのがとっても好きです!楽しみ~!
さてさて、先日7/13,20とワークキャンプ事業部namaste! 名古屋支部・つくば支部でそれぞれ定例会が開催されました!
キャンプ前最後ということもあり、各村のキャンプ準備の進捗報告や、今回渡航するキャンパーに対しての安全対策講座が実施されました。
また、私たちインターン生からの前期を終えての報告や、現地職員である酒井美和さんからの「ベンガル人の文化・宗教・生活」に関するプレゼンがありました。
この定例会、キャンプのある月を除いて、毎月各支部で開かれています。
支部ごとに異なるコンテンツが用意されていて、大変面白いです!
今日はそんなnamaste! 各支部の現状とそのコンテンツのご紹介をしていきたいと思います。
人数:65人
大学:筑波大学、神田外国語大学、東京外国語大学、立教大学
筑波大学の生徒がほとんど。そのため、定例会はほとんど筑波大学にて開かれる。
定例会で行ってきたこと
・各村のキャンプ準備報告
キャンプ前の5-7月、11-1月に行われます。各村が進捗報告をして、それに対して今回キャンプに参加しないメンバーが質問をする形になっています。
・読書会
ハンセン病に関する本を課題図書として1冊選出し、定例会にてそれに関するディスカッションを行います。
ハンセン病の関する本とは、ハンセン病の知識的な本というよりは、ハンセン病患者であった方が書かれた小説など、当時の様子がわかるものです。
いままで、小泉孝之さんの『氷雨』や水野一雄さんのな『階級』などを読みました。
・ハンセン病に関する勉強会
ハンセン病を医学的な側面、歴史的な側面から勉強をします。最近のつくば支部では、定例会だけでなく、お昼休みや空いている時間にメンバーが集まって勉強会を行なっています。
・インターン、理事からの発表
わぴねすとnamaste!の繋がりを明確にしようとインターンの仕事内容や、生活を発表しています。もちろんインドの面白い部分や大変な部分も紹介しています。
理事の梶田さんからは、インド社会についてや、経済、差別についてなど、幅広い内容を発表していただいています。
人数:9人
大学:名古屋大学、名城大学、愛知教育大学、北海道大学
定例会で行ってきたこと
・各村のキャンプ準備報告
つくば支部同様、キャンプ前の5-7月、11-1月に行われます。各村が進捗報告をして、それに対して今回キャンプに参加しないメンバーが質問をする形になっています。
・「ハンセン病」に関するレクチャー
「ハンセン病とはどんな病気ですかと聞かれた時答えられるようにする」
「日本のハンセン病問題とは何かを理解する」
「日本の隔離政策を確認し、ハンセン病療養所とはどんな場所なのかを知る」
「namaste!の活動で、より積極的になれるきっかけを作る」
「ハンセン病を可哀想という同情で終わらせない」
このような5つの目的から、学生が他のメンバーに「ハンセン病とは」「日本のハンセン病の歴史」「駿河療養所」の3つについて5-7月の定例会でレクチャーを行いました。
・インターン、理事からの発表
つくば支部同様、わぴねすとnamaste!の繋がりを明確にしようとインターンの仕事内容や、生活を発表しています。もちろんインドの面白い部分や大変な部分も紹介しています。
理事の梶田さんからは、インド社会についてや、経済、差別についてなど、幅広い内容を発表していただいています。
さらにnamaste!では国内の療養所訪問を行なっています。
その中で入居者の方々と畑作業をしたり、梅酒を作ったりしています。
これについては今後ブログでも紹介していきたいと思っています!
以上のような感じで、namaste!は定例会を開催しています。
これらの活動によってワークキャンプが成り立っています!
さて、そんなnamaste!をはじめとしたわぴねすの活動をよく知ることのできる催しが8/3に開催されます!
そう、、わぴねすの2018年度活動報告会です!
・日時:8/3 14:30~(14:00開場)
・会場:国立オリンピック記念青少年総合センター センター棟401
活動コロニーの紹介や、ワークキャンプ事業部・就労支援事業部の報告、この3月に実現した新たな取り組みであるインド人学生ワークキャンプについての報告など、2018年度のわぴねすの活動内容が一度にわかる、年に一度の大イベントです!
どなたでも参加可能なので、ぜひお越しください。お待ちしております!
みなさんこんにちは、ゆーきゃんです!
いつもはやぎちゃんと交代でブログを書いていますが、今回は前回に引き続き私が「昔のインドではハンセン病とは、ハンセン病患者はどのような存在だったのか」の話をしていきます。
まだ前回のブログをお読みでない方は、ぜひこちらを先に読んでからお楽しみください!
さて前回は、インドの文献における最古のハンセン病の記述を紹介し、当時すでに「ハンセン病は業病だ」という考え方が存在していた、ということを紹介しました。
つまり、ハンセン病と「罪」意識が結びついていたんですね。
今回は、その罪意識がどのように差別と結びついていたのかを、『マヌ法典』の記述から読み解いていくことにします。
何はともあれ、まずは『マヌ法典』の説明から入りたいと思います。
紀元前2世紀~紀元後2世紀の間に成立したと言われている、ヒンドゥー教の法典です。
全編は12章2685章からなり、単なる法律だけではなく、宗教・道徳・習慣に渡る規範を記しています。
さらに、カースト制度(ヴァルナ制)に関する婚姻の規則や、財産の相続、なども事細かく定められています。
つまり、ヒンドゥー教徒にとっての人生の指針とされている重要な法典だということですね。
そんな、ヒンドゥー教徒の規範となる『マヌ法典』において、ハンセン病はどんな形で記述されているのでしょうか?
今回、『マヌ法典』からの引用は岩波文庫の田辺繁子訳、『マヌの法典』(1953年)に依拠します。
『マヌ法典』には、
“惡しき業病を患ふ者”
“この世に於て、惡人は、或は犯したる罪(の結果)により、又或は前(生)に於て犯したる(罪の結果)によりて、相貌の畸形を受く”
という記述があります。
これは、前世または今生で犯した罪の贖罪をしなかった悪人は、身体(または精神)になんらかの障害や奇形をもって生まれる、ということを表しています。
『マヌ法典』では、聴覚、視覚、身体障害や精神障害、奇形、肺病などを持つ者がこの「惡しき業病を患ふ者」として挙げられており、実はこの中には「白癩(ハンセン病の古い呼称) 」や「皮膚病」を患う者も含まれています。
つまり『マヌ法典』においても、ハンセン病は罪という概念とともに語られているということですね。
『マヌ法典』には、
“かく(過去の罪)業の殘餘によりて、白痴、啞者、盲人、聾者、及び畸形者生る。それらは(みな)有徳たる者達によりて輕蔑せらる”
という記述があり、前世の罪による心身の障害を持つ者は差別される対象であったということがわかります。
ハンセン病を患った人も「惡しき業病を患ふ者」とされていたことを考えると、この時代にはすでに社会から差別を受けていたということが推測できますね。
当時からヒンドゥー教徒の規範であった『マヌ法典』にこのような記述があるということが、差別を社会に根付かせる一因になったと考えることもできるのではないでしょうか。
また、同じように『マヌ法典』において差別されるべき存在として記述されていたのが「パティタ」と「シュヴァパチャ」と呼ばれる人々です。
前者は規範を侵犯したことによって共同社会を追放された者のことで、後者は「犬を料理する者」という意味を持つ古代インドの代表的な賤民の人々です。
『マヌ法典』で差別の対象になっている人々は、自己を正常な存在と考える人々にとって「異常」な人々に見えたのでしょう。
古代インドにおいては、ここに差別の根源があったと考えることができます。
ここで気になるのが、なぜハンセン病も含めた心身の障害を持っていることが、「前世で罪を犯したせいだ」とされているのかというところ。
ここからは個人的な考えになってしまいますが、ひとつの解釈としては、これは当時まだ原因のはっきりしていなかった心身の異常に対して、それはかつて自らが犯した罪の報いであると意味づけることによってその事象(心身の異常)について納得し理解をしようとした態度のあらわれだと言えるのではないでしょうか。
また、心身の障害を持つ「異常」な者に対して罪というマイナスの価値をあえて付与することが、悪いものであるということを理由に自己から遠ざけるための言い訳としても機能したとも考えられます。
前回と今回、2回にわたって「古典」という切り口からインドのハンセン病差別を見てきましたが、どうだったでしょうか?
今から約2000年も前に成立した文献に、このようなハンセン病やその差別にまつわる記述が見られるということで、その歴史の長さに驚きます。
インドでハンセン病差別がどのようにして生まれ、社会に根付いていったのかということを考える上でも、非常に興味深い内容ですよね!
ここで話は変わりますが、最後に、8/3に開催される、わぴねすの2018年度活動報告会のお知らせです!
・日時:8/3 14:30~(14:00開場)
・会場:国立オリンピック記念青少年総合センター センター棟401
活動コロニーの紹介や、ワークキャンプ事業部・就労支援事業部の報告、この3月に実現した新たな取り組みであるインド人学生ワークキャンプについての報告など、2018年度のわぴねすの活動内容が一度にわかる、年に一度の大イベントです!
どなたでも参加可能なので、ぜひお越しください!お待ちしております!
みなさんこんにちは、ゆーきゃんです。
日本に帰ってきてからもう3週間近くが経ってしまいました。一時帰国ももうすぐ終わり。
この感じだと、インターン後期も気づいたらあっという間に終わっていそうです…。
限られた時間の中で自分にできる精一杯のことをしていきたいと思います!
さて、わぴねすはインドのハンセン病コロニーで日々活動しているわけですが、今回のブログの話題はまさに「インドのハンセン病」です。
その中でも特に、「大昔のインドではハンセン病とは、ハンセン病患者はどのような存在だったのか」という点を紹介します!
ひとつのブログにまとめようとしたらとんでもなく長くなってしまったので、数回に分けて紹介していきたいと思っています!
まずは今のインドのハンセン病事情を見てみましょう。
インドは世界で一番ハンセン病の新規患者数が多い国で、未だに毎年12万人以上の人が発症しています。
実は現在は、ブラジルを除くすべての国でハンセン病の制圧が達成されています。
(ここでいう制圧とは、人口10,000人当たりハンセン病患者が1人未満である状態のことで、これはWHOが定めた基準です。)
勘違いしてはいけないのが、ここでいう制圧とは、ハンセン病の根絶ではないということです。
インドも、様々な努力の結果、2005年にハンセン病制圧に成功しました。
しかしインドは人口が多いため、制圧が完了したとはいえ、新規患者数はなんと世界全体の約60%にものぼっています。
そんなインドでは、このハンセン病に対する差別がいまだに根強く残っており、ハンセン病に罹患すると、もともと属していたカーストに関係なくまるで不可触民のような扱いを受けることになってしまいます。
たとえ病気が完治したとしても元のような生活に戻ることはできず、社会的烙印(スティグマ)を押され差別と偏見の中で生きることを余儀なくされてしまうのです。
ハンセン病患者や回復者は現在も社会から排斥され、同じ回復者同士やその子孫とともにコミュニティ(ハンセン病コロニー)を形成し、そこに住む多くの人々は、未だに続く差別と偏見の中で貧しい生活を送っています。
このように、インド社会には未だにハンセン病に対する差別が根強く残っていますが、一体どのようにしてこのような差別が生まれたのでしょう?
ハンセン病は古来より存在していた病気であり、インドのRajasthan 州にあるBalathal 遺跡で発見された紀元前2000年頃の中年男性人骨の鼻の骨に、ハンセン病の特徴がみられるという報告も挙がっています。
そんなに昔から存在していたなんて、途方もない話ですよね…。
ハンセン病は古くから存在する病気だということで、古来より世界各地の文書にその記述がみられます。
インドにおいても、古書『Sushruta Samhita』のなかでハンセン病が記述されているとされています。
『Sushruta Samhita』はヴェーダ文献のひとつで、3~4世紀に最終的に完成したと言われる医学書です。
この文献のなかにはいくつかハンセン病について書かれたとみられる記述がありますが、そのうちの一つがこちら。
“今吾等は皮膚病治療法 (kuṣṭhacikitsita) を述べん。
不和合食・間食若は不慣食を取り、或は生理的衝動を抑制することにより、或は酥油等を不當に用ふることにより、或は悪しき行為により或は前世に造れる業によりて皮膚病起る。”
※『Sushruta Samhita』を日本語に翻訳した『スシュルタ本集』(1993、大地原誠玄訳、矢野道雄校訂、谷口書店、原著は1971、Susruta-samhita 翻訳原稿、アーユルベーダ研究会)から引用しています。
これはどのような原因で皮膚病が引き起こされるのかを述べた部分ですが、ここで「皮膚病」として登場するのがハンセン病とされています。
この記述から、古代インドにおいてハンセン病は、今生において悪いおこないをしたり、前世において罪を犯したことの結果としてあらわれる病気であると認識されていたことがわかりますね。
現在ハンセン病は医学的に見て、感染力も極めて低く、治療法も確立された病気です。
しかし、このことが判明する以前の世界においては、ハンセン病は業病、天刑病、遺伝病などといった誤った理解をされていました。
その考え方が、この時代からインド社会に存在していたのです!
つまり古代インドにおいて、ハンセン病は「罪」意識と密接に結びついていたといえますね。
この罪意識が、どのようにして差別につながっていくのでしょうか?
面白くなってきたところですが、今回のブログはここまで!
次回のブログでは、この続きのお話をしていきたいと思います!
ぜひ今回のブログと合わせて読んでみてくださいね!お楽しみに!!
こんにちは。やぎです。
最近は日本も慣れてきて、読書の毎日です。
前半期、本は重くてインドには持っていけなかったので、読めるのが本当に嬉しいです。
今読んでいるのは「マハーバーラタ」
現在インドに留学をしている友人が研究対象にしているもので、インドで最も有名な叙事詩です。
世界三大叙事詩の一つでもあります。(他はホメロスの「イリアス」「オデュッセイア」)
これが面白くて、スイスイ読んでしまいます。
次は桃太郎のモデルとなったと言われる、「ラーマーヤナ」を読む予定です。
さて、今日は「サティー」というものをご紹介します。
「サティー」とは、18世紀までインド全域で、18世紀後半には、ベンガル地方の特にクシャトリア間で流行していた慣習で、夫の死に伴い妻が夫の火葬の薪の中に身を投じるというものです。
武士階級と言われるもの。カーストの一つの階級を表します。
主に王族や武士の属する階級です。
4つある階級の中では二番目とされています。
(カーストについて解説するブログを書きますね、、、)
なぜ私が今回この内容にしようと思ったかというと、
「マハーバーラタ」の中で、こんなお話があったためです。
〜第9章〜
ある王様が鹿に化けて遊んでいた賢者を弓で殺してしまった。
傷ついて死んだ賢者は、王様に「妻と契りを交わすと死ぬ」という呪いをかけた。
王様は後悔し、二人の妻とともに森での隠居を始め、完全な禁欲生活をした。
長い年月が過ぎたある春の日、楽しげな草木や鳥獣を見て、誓いを忘れ、王様は妻と交わってしまった。
呪いの力が発動し、王様は亡くなった。
妻は悲しみ、自分のせいで王様が亡くなったと思い、夫の屍を焼く火葬用の薪に身を投じて自害をした。
マハーバーラタはヒンドゥー教の聖典でもあります。
そのため、マハーバーラタのこの部分が、「サティー」という慣習と何か関係があるのではないかと思いました。
「サティー」を行う目的は、村のバラモン(司祭などが所属する最高の階級)や死んだ夫の親族の立場を立てるために行われていたという解釈があります。
そのために生きたままの女性を燃やすなんて、怖い話ですね。
もちろん、1829年に「サティー」は正式に禁止されます。
イギリスは当時インドの宗教や信仰には寛容でしたが、「サティー」がキリスト教ヒューマニズムにあまりにも背くと考えたために、サティー禁止条例が発布されました。
ですが、書物にはそれ以降も「サティー」が続いていたということも書いてあります。
特にベンガル地方では16歳の少女が無理やり「サティー」の儀式をさせられたという事実が残っています。
しかし、実は「サティー」を教義とするヒンドゥー教の経典は一つもありません。
マハーバーラタの中で上記のような記述はありましたが、それは決して自害を美しく見せたものではありませんでした。
また「サティー」を「貞淑な妻」が行うこととして「ラーマーヤナ」「マハーバーラタ」において女神が似たようなことを行なった記述はあるそうですが、それのみです。
(そんな記述があったらまたご紹介しますね!)
ヒンドゥー教の経典の一つである「マヌ法典」には、理想的な寡婦として「清貧で禁欲的な生活を送る」女性を挙げています。
どこが「サティー」に結びついたのでしょうか、、。
つまり、「サティー」とは、口承文化なんですね。寡婦の理想像が様々に解釈された結果生まれたものなのでしょう。
普通に暮らしていたら考えられないようなことが、たくさんありますね。
こういうことが発見できるので、本を読むことはやめられません!
マハーバーラタが読み終わったら、ぜひ紹介の記事を書きたいと思います!
楽しみにしていてください!
みなさんこんにちは、ゆーきゃんです。なんだか最近は肌寒い日が多い気がしますね。
8月にはまたインドに帰ることを考えると、やっていけるのか少し心配になります(笑)
さて、今回の話題は「インドの経済」です!
「インドって今、経済成長がすごいんでしょ?」というなんとなくのイメージを持っている方も多いのではないでしょうか?
実際、インド経済の動向は世界でも非常に注目されています。
その経済成長は一体如何ほどなのか、また、今後どうなっていくのかなどをまとめてみました!
国連の統計によると、2017年のインドの名目GDPはおよそ2.6兆円となっています。
これは世界大7位の金額であり、農業、製造業、建設業、小売・卸売・飲食・宿泊、運輸・通信という5分野を見ても、全てにおいて世界10位以内に入っています。
特に農業分野においては、中国に次ぐ2位になっているんです!
しかし、単純な金額だけで考えると、インドのGDPは中国の2割程度、アメリカの1割程度でしかありません。
では、なぜ今インド経済が注目を集めているのでしょうか?
インド経済が注目されているわけは、その経済成長率にあります。
近年インドは経済成長を続けており、IMFによると、2018年のインドの実質経済成長率は7.05%でした。
日本の高度経済成長期の実質経済成長率は10%前後だったので、それに近いくらいの経済成長ということですね!
ちなみに2018年の日本の実質経済成長率は0.81%でした。
そして、気になるのが中国。
中国の2018年の実質経済成長率は6.57%でした。
これまで著しい経済成長を遂げていた中国ですが、最近はその勢いにも陰りが見え始め、今後の経済成長は徐々に減速していくとみられています。
2020年にかけてのインドの実質経済成長率は7.7%と予想されており、中国と比べても成長が続くことが見込めるということですね。
インドは今後も経済成長を続ける見込みで、世界からもその動向が注目されていますが、その成長を支えている要素は一体何なのでしょうか?
そのひとつとして、人口の増加に伴って中間層・富裕層にあたる人々が増加していることが挙げられます。
そこが巨大な市場となることによって、消費が拡大していくとみられ、それが経済成長を加速させていくと考えられるのです。
さらにインド国内のインフラ整備への投資も進んでおり、インフラの改善によって、生産・流通の効率が高まることが予想されます。
これも経済成長の底上げにつながるといえますね。
このように、今後も成長が見込まれるインド経済は今世界から注目を集めています。
しかし一方で、インド経済は2018年末を境に公的支出と消費支出がともに大きく落ち込んでおり、実質経済成長率も減速しているという事実もあります。
これに関しては、政府がこれまでに実施してきた金融の透明化や消費拡大に向けた施策の浸透がいまだ途上にあるための一時的なものだという見方もされており、今後これらの施策の効果がどう出てくるかがカギとなりそうです。
世界経済にも大きくかかわってくるであろうインド経済の今後から目が離せませんね!
ちなみにコチラのブログにモディ政権の政策についてまとめた部分があるので、コチラもあわせて読んでみるとどんな経済政策がとられてきたのかがわかると思います!。
それでは今回はこのへんで!
インドの経済格差に関する記事は他にもあります!
http://wappiness.org/2019/10/05/intern107/
http://wappiness.org/2017/09/05/economy-and-society/
こんにちは。やぎです。
最近は雨ばかりですね、、。
実はコルカタのリキシャーに傘を置き忘れてしまったので現在傘がありません、、。
日本の丈夫な傘を買って持っていきたいと思います!
さて、今日はインドの政党についてご紹介します!
題名にもありますが、実はインドには2,000もの政党があります。
正確には2,293党!
有権者9億人ともなると、やはりこれだけの数になるのでしょうか。
主な政党としては、
インド国民会議とは、1885年にイギリスによって、インド人のガス抜き(不満のはけ口)を目的として開催されたものです。
当初は意見の場ではなく、単なるインド人のガス抜きを目的とされていましたが、次第にこの場がインド自治権獲得のために意見する場に変わり、インド国民会議系の政党が現れました。
このうち、インド人民党が現在のインドの首相であるナレンドラ・モディ氏の政党です。
ヒンドゥー至上主義系では、インドの土着性としてヒンドゥー教があげられ、ヒンドゥーの思想に基づいて政治活動を行っているものがあります。
私には、ヒンドゥー至上主義って、そのヒンドゥー教に基づく信念を反イギリスや反イスラムの思想として利用して、政治を行なっている、ヒンドゥー1番!!な政党というイメージがありますが、どうなのでしょうか、、。
過激派だけかもしれないですね、、笑
実は「ジャナタ・ダル」とは「人民の党」という意味です。
旧ジャナタ・ダル党の右派が現在のインド人民党で、中間・左派がこのジャナタ・ダル系です。
(シク教の教義を基盤とする宗教政党 シク教との多いパンジャーブでの支持が高い)
(テルグ語圏であるアーンデラ・プラデーシュ州・てランガーナ州の政党)
(タミル・ナードゥ州の政党)
(タミル・ナードゥ州を本拠として、パーンディッチェーリ連合区やケーララ州などの隣接する州でも
活動している政党)
(ジャンムー・カシミールを中心に活動する政党)
(ジャンムー・カシミールを中心に活動する政党)
(シッキム州で活動する政党)
(アッサム州で活動する政党)
(ジャールカンド州を地盤とする地域政党だが、隣接するオリッサ州、西ベンガル州にも勢力を持つ)
(ミゾラム州の政党。1959年にアッサム州のミゾ族地域における飢饉へのインド中央政府の無策に対する
抗議のために、Pu Laldengaによって設立されたミゾ国民飢餓戦線 ”Mizo National Famine Front” から発展)
(ナガランド州で活動する政党)
その他
案外日本にいてもインドのオフィスにいても、インドの政治について調べられることは
同じくらい限られていますね。
ただ、インドのオフィスでは外に出ればすぐに政党を応援する壁へのペイントや、旗を見ることができます。
日本ではポスターなどですよね。インドでは看板はもちろん、家の壁にもペイントをします。
地域もそうですが、家ごとに政党を選び、ペイントすることで応援します。
そうすることで、政党によっては応援のお礼として家を直してくれたり、
その近くにトイレを作ってくれたりと恩恵を受けられることがあります。
そのため、私たちの活動はインド政府の活動も関係してきます。
例えば、コロニーにトイレが必要な時、私たちが村人とともにワークキャンプにて作ることも可能です。
しかし、政府がトイレを作る可能性があるならば、トイレは政府に任せて、私たちは違うことにお金を使うことができます。
なので、政府の動きや、コロニーの家々が支持する政党を知っておくことは活動を効率的にすることにもつながります!
しっかり観察することが大切ですね〜
コロニーのある田舎の方はもちろんですが、実は、街の中でも、インドの政党を確認できるものはたくさんありますので、旅行の際は是非注目してみてください!
みなさんこんにちは、ゆーきゃんです。
先日までは実家でゆっくりしていたのですが、今は大学のほうに戻ってきているので久々に友人に会えて嬉しい毎日です。
実は数日前に焼肉に行って、牛肉、豚肉、鶏肉、全て美味しくいただいてきました!(笑)
日本では当たり前にこれらのお肉を食べていますが、実はインドではちょっと事情が違っているんです!
ということで今回のブログでは、インドのお肉事情を紹介します!
インドの料理屋さんのメニューでよく見かけるのは「チキン」と「マトン」です。
チキンは言わずもがな鶏肉のこと。
日本ではマトンというと羊肉のことを指しますが、インドではそれに加え「山羊肉」のこともマトンと呼んでいるんです。
山羊肉は日本ではあまり一般的ではありませんが、インドではごく普通に食べられている食材です。
私たちが活動をしているコロニーにも、鶏や山羊を家畜として飼っている人がいます。
ちなみにインドの田舎の方では、その場で鶏を捌いて販売している露店をよく見かけます。
捌きたてを買えるのでむしろ新鮮と言えるかもしれませんが、さすがに怖くてまだ手を出したことはありません…(笑)
インドはその国民の大半がヒンドゥー教徒です。
実はヒンドゥー教では牛は神聖な生き物とされており、殺したりお肉を食べたりしてはいけないことになっています。
そのため、インド人は基本的に牛肉を食べません。
(実は古代には牛を食べていた時期もあったようです。)
そんなインドでは街中でよく牛を見かけます。
道路の真ん中を牛が歩いている…!なんてことも。
インドでは、車がクラクションを鳴らしまくったり強引に前に出ようとしたりするのはもはやおなじみの光景ですが、牛が道路を歩いているときには、速度を落としてクラクションも鳴らさずによけて走っていました。
ここからもインドでは牛を神聖な生き物として扱っていることがよくわかりますね。
イスラム教において豚肉を食べることが禁止されているのは有名ですが、実はインドでは豚肉を食べることが禁止されているわけではありません。
にもかかわらず、インドでは「豚肉は食べない」という人も多いんです。
それはなぜかというと、ズバリ「汚いから」だと言われています。
確かに、コロニーにいる豚やオフィスの近くにいる豚を見てみると、人間の食べ残しからゴミ、さらには排泄物に至るまでなんでも食べているし、泥まみれになっている姿もよく見かけます。
インドでは「不浄」という概念が社会に根付いているため、このような一面を持つ豚を食べるのはあまり良くないことだ、という意識が働くのかもしれませんね。
牛肉よりはお店で見かける頻度は高い気がしますが、周りのインド人もあまり豚肉を食べているイメージはないです。
今まで紹介してきたように、インドでは牛肉と豚肉はあまり食べられていないので、私たちもほとんど食べることはありません。
そのため、私たちが食べているお肉もインド人と変わらずチキンかマトンばかりです。
しかし、先ほどチラッと書きましたが、田舎のほうでは露店で捌いた鶏肉などを売っているお店ばかり。
もちろん買おうと思えば買えるのですが、それを食べるとなるとお腹を壊さないかが心配になってしまいます(笑)
都会の方ではスーパーマーケットなどで冷凍のお肉が売っていたりしますが、私たちの住んでいるビシュナプールにそんなものはない(泣)
そのため、必然的に普段は野菜中心でお肉を食べない生活をしています…。
その反動で、コルカタなどに行った際にはこれでもかというくらいチキンを食べまくっています(笑)
今回はインドのお肉事情について紹介してきました。
日本とは違って牛肉と豚肉を食べる習慣のないインド。
インド人の前で「牛も豚も普通に食べるよ!」と公言すると嫌な顔をされたり微妙な雰囲気になったりすることもあるようなので、あまり大っぴらにしすぎないほうが身のためかもしれません。
逆に日本ではなかなか食べない山羊肉が手軽に食べられるので、インドに来た際にはマトン系のもの(マトンカレーなどがオーソドックスです)を食べてみるのもいいかもしれません!
文化が違えば食習慣も違っていて、非常に面白いですね!
こんにちは、やぎです。
日本に帰ってきたら風邪をひいてしまい、現在声が全くでません、、。
絞り出そうとするとアシカのような声が出ます(笑)
さてさて、実は先日、この夏のキャンプにて実施する「歯磨きプロジェクト」に向けての事前研修を受けてきました!
歯磨きプロジェクトに関してはこちら↓
今回、梅本記念歯科基金の梅本理事長や、基金に参加している歯医者の先生方、
アジア・コミュニティ・トラストの鈴木さんのご協力の下、サンスターの歯科衛生士である鷲嵐さんにご指導いただきました。
まずは梅本理事長から「梅本記念歯科奉仕団」の歴史についてお話をいただきました。
梅本記念歯科奉仕団は、1950年より日本の療養所から当時はアメリカの領土であった沖縄、インド・タイ・韓国・ベトナム・フィリピン・ラオスと今日まで活動を拡大してきました。
当初は慰問が主な活動でしたが、1960年からは歯科診療団の派遣を開始しました。
実はこれらの説明の中で、インドにはアグラ(タージマハルがあるところ)に「インド救ライセンター」があることを私は初めて知りました!
ぜひ次の渡航の際には行ってみたいと思います!
次に「歯磨きの意義について」というテーマで歯磨きと虫歯・歯周病・歯垢の関係性やそれらがどのような工程でできるのかを学びました。
「歯磨きをしないと虫歯ができる、歯が悪くなる」とぼんやりと思っていた私でしたが、この研修でそのプロセスがどのようなものなのかがわかりました!!
特に、歯垢がただの細胞の重なり合いではなく、水や栄養分の供給や、代謝産物を排泄するような生態系を構成していることには本当に驚きました!!!
口の中にもある意味社会が広がっていると思うと非常に興味深かったです。
また、歯周病や虫歯によって人が死ぬ可能性があることもわかりました。
「ただの虫歯・歯周病」なんて思っちゃいけませんね。
歯周病によって、細菌性心内膜症にかかったり、老人性肺炎にかかったり、、、
一見歯とは関係がなさそうな病気にもかかるリスクがあるんです。
恐ろしい、、。
さて、このような講義の後は、実践講義です。
歯科衛生士のわしずさんに、幼稚園くらいの子供達への歯磨き講座のやり方を教わりました。
子供達の集中力を歯磨きに保つための工夫や、わかりやすい教え方など、たくさん教えていただきました!
また正しい歯の磨き方・仕上げ磨きのやり方も教えていただきました。
このような研修の中で、インドでどうやったらこの学びが活かせるか、悩みがたくさん出てきましたが、先生方が本当に親身になって回答してくださいました。
例えば、
Q.1
「マニプールコロニーの回復者のおじいちゃんおばあちゃんはほとんど歯がありません。
そんなご老人方には口内にどんなリスクがあって、どのように対処すればいいかわかりません。」
A.1
「歯がいっぽんでも残っているのであれば、それを守ったほうがいい。
歯が少なくなると、それによって残った歯も傾くし、咀嚼効率が下がる。
また、歯がなくても口内ケアができる。舌苔を取ることや、マッサージ、
口の中に挟まった食べカスの掃除など。これらをすると、
口内を清潔に保つことができるし、唾液の分泌を促進できて、(老人性)肺炎の予防にもなる」
Q.2
「親が子供の歯磨きまで気をかけることができるか心配。
そもそも村人たちが歯磨きの習慣をきちんと身につけられるかも不安。」
A.2
「歯磨きをしないことで、歯周病・虫歯になるリスクが高くなる。
そうすると、様々な病気になるリスクも高くなる。写真を使うなどして、
そのことが身近に感じられるように伝えられたらいいんじゃないかな。」
この夏のキャンプはもちろんですが、村内の学校の先生や孤児院・ホステルの先生に正しい歯磨き・歯周病の恐ろしさを伝えることで、この活動を私たちがいなくても続けていくことができるよう、頑張っていきたいと思います!!
夏の報告も是非楽しみにしていてください!
では、また〜!
みなさんお久しぶりです、ゆーきゃんです!
毎日投稿を続けていたブログですが今回は久々の投稿になってしまいました…。
実は、7/1にインドから日本に帰ってきました!
久々の日本を満喫しています!と言いたいところですが、私もやぎちゃんも帰国早々体調を崩していました(笑)
もう回復したのでここから思う存分日本を楽しもうと思います!
実は偶然帰国の便がまるかぶりだった私とやぎちゃん。
中国東方航空の、コルカタ→昆明→北京→名古屋(乗り換え2回)という経路で日本まで帰る便でした。
中国東方航空を利用するときに覚悟しておかなければならないのが「遅延」です。
乗り換え時間が短いと次の飛行機に乗れないこともあり非常に厄介なので注意しなければなりません…。
今日は、今回の帰国で遅延に苦しめられたエピソードを紹介します。
実は今回私たちの旅程は昆明での乗り換え時間が2時間半しかなく、私は内心「コルカタから昆明に向かう便だけは遅延しないでくれ…」と願っていました。
しかし、そんなときこそ運は味方しないもの。
搭乗開始予定時刻になっても全く搭乗が始まらない!!!
結局飛行機が飛んだのは予定時間の1時間後でした…。
もちろん到着も1時間遅れ。乗り換え時間が1時間半しかない…!
到着してすぐに待ち構えているのが入国審査。
めんどくさそうに思えますが、2人とも過去に何度も中国東方航空を利用しているので手続きに関してはお手の物でサクサク進めました(笑)
スムーズに入国審査をクリアするコツは、絶対に飛行機の中で外国人用入国カードをもらって書いておくこと。(CAさんが配ってくれます。)
これは、自分の名前やパスポート番号、便名や入国の目的を書き、入国審査の際にオフィサーに提出するものです。
これを書き忘れたりしたがために、せっかく自分の審査の番が来ても「書いてきて」と戻されてしまう人を多く目撃します。
実は入国審査場の手前にも用紙と記入台が設置してありますが、飛行機内で記入を済ませておくことをおススメします。
なぜなら一気にたくさんの人が押しかけるので混雑するうえに、それを書いているうちに次々と人が列に並んでしまい気づいたら長蛇の列が…なんていうことがよくあるからです。
このことを知らずに入国審査に挑むと手間取りがちですが、ぜひコツを使ってスムーズな入国をしてみてください!
そんなこんなで私とやぎちゃんは大急ぎで入国審査を終え、荷物を受け取り、チェックインカウンターへと向かいます。
しかし、掲示板を見て指定のチェックインカウンターに行っても誰もいない…。
このときすでに出発時刻の1時間前。
近くにいた空港スタッフに聞いてみると、出発まで1時間を切ったフライトは特別なカウンターに行かねばならないとのこと。
急いでそちらに行きチェックインを済ませました。
そして荷物検査を終えたときにはすでに搭乗の催促が始まっていました。
ということで、荷物検査場から搭乗ゲート(かなり遠い)まで全力ダッシュ!!!
あんなに必死に、しかも長距離を走ったのは久々すぎてめちゃめちゃに疲れました…。
全力ダッシュのおかげでなんとか搭乗に成功!
なにはともあれ、無事北京行きの飛行機に乗ることができました…ホッ…。
今回はもともと2時間半の乗り換え時間があったところ、1時間の遅延があったせいで搭乗がかなりギリギリになってしまいました。
中国東方航空ではこれくらいの遅延も割としょっちゅう起こるので、乗り換え時間は十分に取っておくのが望ましいです。
入国・出国審査、荷物の受け取り、チェックインの必要がある場合は、特に余裕を持った旅程を組むことをおススメします。
もし遅延のせいで予定していた次の飛行機に乗ることができなかった場合も、カウンターで交渉をすれば中国東方航空側が代わりのチケットを用意してくれるので、あきらめずに粘り強く交渉してみてください!
ちなみに、予定していた飛行機に乗れなかった時の悲惨な体験を紹介したやぎのブログがこちら。
こんな事態にならないのが一番ですが、もしもの時のために参考にしてみてください…。
英語の通じない空港で次のフライトに間に合わなかった!!〜昆明空港〜 そこからの教訓 やぎ(インドインターン日記 vol.37)
さて、ここからは完全に余談ですが、その後の私たちの旅がどうなったか紹介します。
さんざん遅延について書いてきましたが、これ以降の旅路は遅延もなくとても平和で、ほぼ時間通りに日本に到着することができました!
インドから約16時間かけてやっと日本に戻ってきた私たち2人でしたが、旅はまだまだ終わらない!
無謀にも、その日のうちに東京に向かう夜行バスを予約していたのでした(笑)
さらにバスに揺られること6時間。バスが目的地について、私とやぎちゃんはそこでお別れでした。
この4か月間ほぼ毎日1日中一緒にいたのでなんだか不思議な感じでしたね…。
そして、やぎちゃんと別れた後も私の旅は終わらない!!!(笑)
東京についた私はその数時間後さらに地元に向かうバス(乗車時間約5時間)に乗り込み、死んだように眠りながらさらに揺られるのでした…。
そんなこんなで無事日本に帰ってきた私たち。
今後しばらくは日本からブログを更新していくので、お楽しみに!
みなさんこんにちは、ゆーきゃんです。
今日のインド時間深夜、日本への帰国便に搭乗します!
日本につくのは7/1の夜。
日本に帰れるのは楽しみですが、今は正直飛行機での旅(中国経由、2回乗り換え)のことを考えるとゾッとしてしまいます(笑)
さて、そんな帰国直前の6/26,27に、今夏に開催されるリサーチキャンプの下見のため、インド西ベンガル州にあるうちの3つのハンセン病コロニーを訪問しました!
今夏開催のワークキャンプについて、その活動内容をまとめたブログがこちら。ぜひ目を通してみてくださいね!
夏キャンプに向けての準備が進んでいます! ~インドハンセン病コロニーでワークキャンプ!~ わたなべ (インドインターン日記 vol.54)
今回訪問したのは
・Nabajibanpur コロニー
・Kalyanpur コロニー
・Nimpura コロニー
の3コロニーです。
実はこれらのコロニーはまだわぴねすの誰も訪れたことがないコロニーだったので、一体どんなコロニーなのかとワクワクしていました。
実はこの3コロニーには共通点があります。
それは、規模が大きいことです。
Nabajibanpurは260世帯、Kalyanpurは300世帯、Nimpuraは250世帯の家族が暮らしています。
わぴねすが現在活動しているコロニーの中で一番規模が大きいマニプールコロニーの世帯数が250ほどなので、同程度かそれ以上ですね!
規模が大きいということは、その分子供もたくさんいるということ。
そのため3つのコロニーとも、村の中に小学校がありました。
しかし中学校以上に通っている子供たちは、村内に学校がないため村の外の学校に通っているとのこと。
外の道路は交通量が多いため、毎日自転車で通うのが危険だという問題もあるようでした。
さらに3コロニーを訪問して驚いたのが、セメント造の立派な家の多さ!
わぴねすが普段活動しているコロニーではあまり見かけないため、興奮してたくさん写真を撮ってしまいました(笑)
しかし、立派な家がある一方で、壁にヒビが入っていたり屋根がボロボロだったり、状態の良くない家屋も目立ちました。
これらが意味するのは、コロニー内でも生活のクオリティに格差があるということ。
小規模なコロニーよりも、その差がはっきりと、そして大きく見えた訪問でした。
また、コロニーの規模が大きいからか、どのコロニーもインド政府から家屋の提供や水道の設置などの支援を受けていました。
特にNimpuraは他の現地NGOからの支援も受けていることもあり、公共のトイレがいくつもある、排水設備が村内についている、大きなゴミ箱が設置されており現地政府によって回収・処理がなされているなど、居住環境はかなり整備されている印象を受けました。
しかし飲み水のクオリティが悪く外から組んでくる必要がある、電気が使えない家族がいるなど、問題は残っているようでした。
そして各コロニーにおける差別状況も聞くことができました。
実はNabajibanpurとNimpuraにおいてはすでに差別はほとんどなく、村の外との関係も良好だそう。
後遺症のある快復者の方も問題なく周辺施設を利用できるようで、後遺症のあるおじいちゃんがコロニー近くのお店で普通に買い物をして談笑している様子を見ることができました。
しかし、Kalyanpurでは現在もひどい差別が残っているそうです。
聞いた中で一番驚いたのが、魚売りの話。
コロニー内にある池でとれた魚は、マーケットに持って行っても誰も買ってくれない。
それどころか、魚売りがコロニーに魚を売りに来て、売れ残った魚を再度マーケットで売ろうとしてもやはり誰も買おうとしない。
Kalyanpur コロニー周辺ではハンセン病に対するスティグマがいまだに強く残っており、このほかにも様々な差別があるそうです。
このように今回の訪問では、簡単なコロニーの基本情報や差別状況について知ることができました。
今後はこの訪問で得られた情報をもとに、リサーチキャンプを実施するコロニーを決めていきます。
今回の訪問ではそれぞれのコロニーに滞在できた時間は2~3時間だけでしたが、キャンプ中に村で生活し、リサーチによってさらに詳しく村や村人のことを知れるのが非常に楽しみです!