こんにちは。やぎです。
最近は日本も慣れてきて、読書の毎日です。
前半期、本は重くてインドには持っていけなかったので、読めるのが本当に嬉しいです。
今読んでいるのは「マハーバーラタ」
現在インドに留学をしている友人が研究対象にしているもので、インドで最も有名な叙事詩です。
世界三大叙事詩の一つでもあります。(他はホメロスの「イリアス」「オデュッセイア」)
これが面白くて、スイスイ読んでしまいます。
次は桃太郎のモデルとなったと言われる、「ラーマーヤナ」を読む予定です。
さて、今日は「サティー」というものをご紹介します。
「サティー」とは、18世紀までインド全域で、18世紀後半には、ベンガル地方の特にクシャトリア間で流行していた慣習で、夫の死に伴い妻が夫の火葬の薪の中に身を投じるというものです。
武士階級と言われるもの。カーストの一つの階級を表します。
主に王族や武士の属する階級です。
4つある階級の中では二番目とされています。
(カーストについて解説するブログを書きますね、、、)
なぜ私が今回この内容にしようと思ったかというと、
「マハーバーラタ」の中で、こんなお話があったためです。
〜第9章〜
ある王様が鹿に化けて遊んでいた賢者を弓で殺してしまった。
傷ついて死んだ賢者は、王様に「妻と契りを交わすと死ぬ」という呪いをかけた。
王様は後悔し、二人の妻とともに森での隠居を始め、完全な禁欲生活をした。
長い年月が過ぎたある春の日、楽しげな草木や鳥獣を見て、誓いを忘れ、王様は妻と交わってしまった。
呪いの力が発動し、王様は亡くなった。
妻は悲しみ、自分のせいで王様が亡くなったと思い、夫の屍を焼く火葬用の薪に身を投じて自害をした。
マハーバーラタはヒンドゥー教の聖典でもあります。
そのため、マハーバーラタのこの部分が、「サティー」という慣習と何か関係があるのではないかと思いました。
「サティー」を行う目的は、村のバラモン(司祭などが所属する最高の階級)や死んだ夫の親族の立場を立てるために行われていたという解釈があります。
そのために生きたままの女性を燃やすなんて、怖い話ですね。
もちろん、1829年に「サティー」は正式に禁止されます。
イギリスは当時インドの宗教や信仰には寛容でしたが、「サティー」がキリスト教ヒューマニズムにあまりにも背くと考えたために、サティー禁止条例が発布されました。
ですが、書物にはそれ以降も「サティー」が続いていたということも書いてあります。
特にベンガル地方では16歳の少女が無理やり「サティー」の儀式をさせられたという事実が残っています。
しかし、実は「サティー」を教義とするヒンドゥー教の経典は一つもありません。
マハーバーラタの中で上記のような記述はありましたが、それは決して自害を美しく見せたものではありませんでした。
また「サティー」を「貞淑な妻」が行うこととして「ラーマーヤナ」「マハーバーラタ」において女神が似たようなことを行なった記述はあるそうですが、それのみです。
(そんな記述があったらまたご紹介しますね!)
ヒンドゥー教の経典の一つである「マヌ法典」には、理想的な寡婦として「清貧で禁欲的な生活を送る」女性を挙げています。
どこが「サティー」に結びついたのでしょうか、、。
つまり、「サティー」とは、口承文化なんですね。寡婦の理想像が様々に解釈された結果生まれたものなのでしょう。
普通に暮らしていたら考えられないようなことが、たくさんありますね。
こういうことが発見できるので、本を読むことはやめられません!
マハーバーラタが読み終わったら、ぜひ紹介の記事を書きたいと思います!
楽しみにしていてください!