みなさんこんにちは、ゆーきゃんです。
日本に帰ってきてからもう3週間近くが経ってしまいました。一時帰国ももうすぐ終わり。
この感じだと、インターン後期も気づいたらあっという間に終わっていそうです…。
限られた時間の中で自分にできる精一杯のことをしていきたいと思います!
さて、わぴねすはインドのハンセン病コロニーで日々活動しているわけですが、今回のブログの話題はまさに「インドのハンセン病」です。
その中でも特に、「大昔のインドではハンセン病とは、ハンセン病患者はどのような存在だったのか」という点を紹介します!
ひとつのブログにまとめようとしたらとんでもなく長くなってしまったので、数回に分けて紹介していきたいと思っています!
まずは今のインドのハンセン病事情を見てみましょう。
インドは世界で一番ハンセン病の新規患者数が多い国で、未だに毎年12万人以上の人が発症しています。
実は現在は、ブラジルを除くすべての国でハンセン病の制圧が達成されています。
(ここでいう制圧とは、人口10,000人当たりハンセン病患者が1人未満である状態のことで、これはWHOが定めた基準です。)
勘違いしてはいけないのが、ここでいう制圧とは、ハンセン病の根絶ではないということです。
インドも、様々な努力の結果、2005年にハンセン病制圧に成功しました。
しかしインドは人口が多いため、制圧が完了したとはいえ、新規患者数はなんと世界全体の約60%にものぼっています。
そんなインドでは、このハンセン病に対する差別がいまだに根強く残っており、ハンセン病に罹患すると、もともと属していたカーストに関係なくまるで不可触民のような扱いを受けることになってしまいます。
たとえ病気が完治したとしても元のような生活に戻ることはできず、社会的烙印(スティグマ)を押され差別と偏見の中で生きることを余儀なくされてしまうのです。
ハンセン病患者や回復者は現在も社会から排斥され、同じ回復者同士やその子孫とともにコミュニティ(ハンセン病コロニー)を形成し、そこに住む多くの人々は、未だに続く差別と偏見の中で貧しい生活を送っています。
このように、インド社会には未だにハンセン病に対する差別が根強く残っていますが、一体どのようにしてこのような差別が生まれたのでしょう?
ハンセン病は古来より存在していた病気であり、インドのRajasthan 州にあるBalathal 遺跡で発見された紀元前2000年頃の中年男性人骨の鼻の骨に、ハンセン病の特徴がみられるという報告も挙がっています。
そんなに昔から存在していたなんて、途方もない話ですよね…。
ハンセン病は古くから存在する病気だということで、古来より世界各地の文書にその記述がみられます。
インドにおいても、古書『Sushruta Samhita』のなかでハンセン病が記述されているとされています。
『Sushruta Samhita』はヴェーダ文献のひとつで、3~4世紀に最終的に完成したと言われる医学書です。
この文献のなかにはいくつかハンセン病について書かれたとみられる記述がありますが、そのうちの一つがこちら。
“今吾等は皮膚病治療法 (kuṣṭhacikitsita) を述べん。
不和合食・間食若は不慣食を取り、或は生理的衝動を抑制することにより、或は酥油等を不當に用ふることにより、或は悪しき行為により或は前世に造れる業によりて皮膚病起る。”
※『Sushruta Samhita』を日本語に翻訳した『スシュルタ本集』(1993、大地原誠玄訳、矢野道雄校訂、谷口書店、原著は1971、Susruta-samhita 翻訳原稿、アーユルベーダ研究会)から引用しています。
これはどのような原因で皮膚病が引き起こされるのかを述べた部分ですが、ここで「皮膚病」として登場するのがハンセン病とされています。
この記述から、古代インドにおいてハンセン病は、今生において悪いおこないをしたり、前世において罪を犯したことの結果としてあらわれる病気であると認識されていたことがわかりますね。
現在ハンセン病は医学的に見て、感染力も極めて低く、治療法も確立された病気です。
しかし、このことが判明する以前の世界においては、ハンセン病は業病、天刑病、遺伝病などといった誤った理解をされていました。
その考え方が、この時代からインド社会に存在していたのです!
つまり古代インドにおいて、ハンセン病は「罪」意識と密接に結びついていたといえますね。
この罪意識が、どのようにして差別につながっていくのでしょうか?
面白くなってきたところですが、今回のブログはここまで!
次回のブログでは、この続きのお話をしていきたいと思います!
ぜひ今回のブログと合わせて読んでみてくださいね!お楽しみに!!