ジテン@ビシュナプールコロニー

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インドワークキャンプ団体namaste! のメンバーが、現地で村人にインタビューを実施しました!

学生インタビュー編 第7弾をお届けします。

 

【基本情報】

名前:ジテン・カリンディ(Jiten Kalindi)
年齢:60歳
家族:7人
―構成:妻、息子(40歳、結婚して7年で授かる)、息子の妻、孫3人(うち2人は既婚、1人は学生)
住んでいるところ:ビシュナプールハンセン病コロニー
仕事:竹でかごを作ることが出来るが、元手がないため仕事が出来ていない。

写真はその竹かご

 

【インタビュー本文】

―はじめまして。インタビューへのご協力ありがとうございます!
―早速ですが、ジテンさんの生い立ちについて教えてください。
私はメディプールというここから40kmほどのところに生まれたんだ。

―どういう経緯でビシュナプールコロニーに住むことになったのですか?
若いころにハンセン病にかかってしまって、妻と共に村を追い出されたんだ。当時はハンセン病の薬もワクチンもなく、ハンセン病患者はひどい差別を受けていた。どこに行ってものけ者扱いされるから、いろいろな場所を転々としたよ。最終的にこのコロニーの目の前にある駅にたどり着いた時、現在の村長であるジョゲンダに出会って、彼が私を受け入れてくれたんだ。

―当時ビシュナプールはどのような状況だったのですか?
ここでもハンセン病罹患者に対するひどい差別が横行していたよ。人々は基本的に私たちから距離を置いていた。そんな中でジョゲンダは政府とハンガーストライキなどで闘って、コロニーを建設してくれたんだ。ここに来る前は常に人から避けられていたから、村人と一緒にご飯を食べたり話したり一緒に過ごすことができて本当にうれしかった。

―当時、具体的にどのような差別を受けていたのですか?
コロニー外の人に「来るな」、「触るな」と罵られることが多かった。人々はハンセン病が自ら感染すると考えていたためか、水に近づくことを許してもらえなくて飲料水に困って苦しい思いをたくさんしたんだ。それに、買い物をするときお店の人がお金を普通に受け取ってくれず、目の前で渡した硬貨を熱湯消毒されたりもしたよ。ひどい時は私たちにも熱湯をかけてきたんだ。差別はコロニーの外だけじゃなく、コロニー内にいても受けたよ。ハンセン病コロニーがここにあることを良く思わないビシュナプールの人たちが村を襲撃しに来て家を壊されたこともあった。

―その時、どうされたのですか??
ジョゲンダが中心となって竹で襲撃者と戦ってくれたんだ。

―そうだったんですね。ジョゲンダは本当にすごい人ですね。
そうだよ。彼はハンセン病で苦しんできた人たちの間ではここビシュナプールだけでなく、ウエストベンガル全体でも有名な人なんだ。

―今も差別を受けることはありますか??
昔に比べると減ったと思うよ。

―なぜ差別が減ったと思いますか?
日本人がハンセン病コロニーに通ってくれるようになったからだよ。彼らが私たちと一緒に過ごすところをコロニーの外の人々が見て、ハンセン病は触れるだけで感染するものじゃないんだと理解するようになったんだ。それ以来差別は減ってきたように感じる。

―そうなんですね。私たちが少しでも貢献できているならうれしいです。
―そろそろ時間ですね… ダダ、今日は本当にありがとうございました。
いいえ。また話そうね。

インタビュー後の記念撮影。一番左がジテンさん