カテゴリー:インターン生日記 / マニプールハンセン病コロニー / 村人の人生紹介
こんにちは、やぎです。
現在コルカタに来ています。
最近毎日インド料理か中華料理を食べていたので、昨日食べたグラタンの美味しさに悶絶しました。
こんなに美味しい食べ物あったっけ、、?
もちろんインド料理も中華も好きなのですが、、、
やっぱりコンチネンタルな食事が一番です。
さて、今日はマニプールコロニーのOld age homeに住む2人の回復者のおじいちゃんおばあちゃんの人生を紹介したいと思います。
マニプールコロニーには、身寄りのないハンセン病回復者のおじいちゃんとおばあちゃんが暮らすOld Age Home(いわゆる老人ホーム)があります。
ここでは特に規則がないため、毎日みんなで談笑をしたり、敷地内を散歩したり、昼寝をしたり、思い思いに過ごしています。
後遺症が残っている人が多いため、毎月3,4人ずつ、リハビリのために病院に入院しているそうです。
入院期間は1か月ほどで、リハビリが終わるとまたコロニーに戻ってきます。
敷地内には彼らのための食事を作る炊事小屋があり、毎日決まった時間に食事やチャイが提供されます。
Old Age Homeは男性棟と女性棟に分かれており、2019年春・夏のワークキャンプにて、炊事小屋も含めた建物の修繕を行いました。
実は、ワークキャンプの際にキャンパーが滞在する部屋も同じ敷地内にあり、キャンプ期間中は毎日おじいちゃん・おばあちゃんと交流しています。
チャトルさんは、現在63歳の元気なおじいちゃん。
チャトルさんがハンセン病にかかる前、彼は深夜の警備員の仕事で生計を立てていました。
家では18頭の牛や16頭の山羊を飼育しており、親族は警察官と、不自由ない生活を送っていました。
当時付き合っていた彼女とは婚約もしていました。
(インドの農村部では珍しい恋愛結婚!!)
しかし彼がハンセン病にかかり、手や足が変形してしまうと、彼女の親族の反対から婚約は無しに。
彼女は悲しみのあまり井戸に身を投げ込み自殺をしました。
彼の周りの人々は差別はしませんでしたが、彼はそれまでの生活とは打って変わり、物乞いをしなければいけなくなりました。
その時友人に紹介されたのがマニプールコロニーのOld age homeでした。
現在、物乞いをすることなく、不自由なく過ごせるOld age homeでの生活は彼にとって幸せなものだそう。
しかし故郷にも帰りたい。でも帰ったら物乞いをしなければいけない。
そのような葛藤を抱きながら、Old age homeに住んでいます。
時々故郷に帰って家族や友達に会うことが、彼にとって一番幸せな時間だそうです。
Sukurmaniおばあちゃんは、現在63歳の車椅子を使って生活するおばあちゃん。
彼女の両親は、彼女がハンセン病にかかった際、
「ハンセン病にかかっている彼女がいるから息子が結婚できない」と考え、
彼女をOld age homeに送りました。
当時のことを思い出して彼女は
「一緒にいることを家族に拒まれて、ただここにいること以外、私には何をすることもできなかった」
と語っています。
彼女には夫や息子、さらには孫までいますが、
誰一人として彼女の様子を見にOld age homeを訪れる人はいません。
彼女の息子や孫でさえ、奥さんに反対され彼女に会うことができない状況です。
(この話は彼女自身に聞いた話です。そのため息子をはじめとする彼女の親族が彼女を訪れない本当の理由はわかりません。もしかしたら息子でさえ後遺症のある彼女を差別しているかもしれません。)
そんな彼女の現在の楽しみはヒンドゥー教の神に祈ることと、おしゃべりをすること。
私が会いに行くと彼女はいつも満面の笑みで手を振ってくれます。
さて、今日はハンセン病にかかった、後遺症を抱えたおじいちゃんおばあちゃんの人生を少しだけ紹介しました。
このような例以外にも、家族は差別しないけど友人が去っていってしまった人や、恋人がハンセン病にかかったため二人でハンセン病コロニーに引っ越してきた人など、様々な人生があります。
しかし、ハンセン病にかかっただけで、ただそれだけで、悲惨な人生を歩むことになった人々がいたことが伝わればいいなと思います。
これからいろんなハンセン病コロニーの村人の人生をご紹介できたらと思います!