とうとう最後のコロニー、ピアルドバコロニーで調査をしました!やぎ(インドインターン日記 vol.150)

カテゴリー:インターン生日記 / リサーチ事業

 

こんにちは、やぎです。

 

最近はインドでもぐっと気温が下がり、朝晩は14度前後まで気温が落ち込みます。

 

寒いですね。ゆーきゃんも私も福島県出身なので、寒さには耐性あるよねなんて言っていたのですが、今では二人とも一日中「寒い寒い」と言っています。

 

ウルトラライトダウン、持ってきてよかった、、、

 

さて、今日はとうとう一昨日終わったリサーチ事業で、最後のコロニーだったピアルドバコロニーを紹介します!

 

もうマイクロローン事業に関する記事で知っている方もいるかもしれませんね。

 

ピアルドバコロニー基本情報

 

 

名前:Peardoba Leprosy After Care Colony

世帯数:24

位置:西ベンガル州バンクラ県ビシュナプールブロックピアルドバ

最寄り:ピアルドバ駅から1km

 

現在、わぴねすのマイクロローン事業によって15人がローンを組んで、牛の肥育や養鶏、パーティー用の装飾のレンタルなどの事業を運営しています。

 

特徴①コロニーの成り立ち

 

 

〜基本的なコロニーの出来方〜

ハンセン病に罹患したことで、ほとんどの患者は故郷や家を追い出されます。彼らが駅や市場、空き地を彷徨い、同じような境遇の患者を見つけて、一緒に住むようになり、コロニーが形成されます。

 

しかし!!ピアルドバコロニーは違います!

 

〜ピアルドバコロニー〜

1976年に、イギリス軍の駐屯地跡にPeardoba Leprosy After Care Colonyを政府が作りました。1977年から1980年の間に、3回にわたってバンクラにあるゴリプール病院から48家族がコロニーに移され、形成されました。

 

このように、ピアルドバコロニーは政府によって形成された、珍しいコロニーです。

 

そのため、現在も中央政府がこの土地を管理しています。

 

特徴②コロニーと政府の関係

 

 

上記のように、ピアルドバコロニーは政府の土地です。

全ての村人はコロニーの周りにある、政府が管理するマンゴー・カシューアップル・カシューナッツ・ライチの農園、養蚕場で働いています。

 

この農場で働くことで、日に100ルピー、月に3000ルピーの収入が得られます。

 

この村人の収益以外の農場の収益は、政府に収められます。

 

そのため、村人は税金などを収めることなく、この土地に住むことができています。

 

また、ほとんど全員(家にいる女性や子供を除き)80歳のおばあちゃんでさえ政府の農場で働いているため、ハンセン病コロニーには珍しく、このコロニーには物乞いが一人もいません!

 

特徴③インフラ

 

 

全ての家が1947年以前に造られた建物なので、屋根や壁がボロボロです。

 

ほとんどの家が屋根がとても高く、修理が難しいため、家の中にビニールのシートを張って雨を凌いでいます。

 

また、それでも雨漏りがひどい家があり、そこの住人は雨の夜は傘を差しながら寝ているそうです。

 

政府の政策により、1年前に6軒の家屋が修理されました。

しかし使われている屋根の素材はアスベスト。

安値なのはわかるのですが、健康に悪影響を及ぼす素材です。

 

このように居住環境がひどい状況であるのに加え、村内に井戸や排水設備がないこともこのコロニーの特徴です。

 

村には井戸や蛇口がありますが、全て枯れています。

そのため、人々はコロニーの外にある(近い)ハンドポンプや、隣村であるラージプールに水を汲みに行っています。

 

また、このコロニーには 舗装された道がありません。コロニーの周りも赤土が広がっています。排水設備もないため、雨季には道がぬかるみ、歩くことも難しくなります。

 

実際雨が降る日は私たちもピアルドバーコロニーには行きません。

最寄り駅からコロニーまでの道も舗装されておらずぬかるんでしまうので行けないんです。

 

特徴④一人のソーシャルワーカーの活躍

 

 

コロニーの人々から、何度か”Asim Samant”という男性の名前を聞きました。

 

この男性は、Peardoba High Schoolの先生で、活動家だそう。

 

この方は、ピアルドバコロニーに人を連れてきてハンセン病啓発プロジェクトを実施したり、コロニーに滞在してコロニーの人々と飲食を共にすることをしました。

 

コロニーの外の人がそのような様子を見て、コロニーに対する差別がなくなったとコロニーの人々の多くは言っていました。

 

特に後遺症があるおじいちゃんやおばあちゃんは、一緒にチャイを飲んだことや、この男性の父のお葬式に招かれ、ハンセン病回復者じゃない人と同じところに座らせてくれたことを覚えており、嬉しそうに語ってくれました。

 

以上のような特徴を見つけ、無事リサーチは終わりました。

 

なんと最終日には数分前に生まれたばかりの子ヤギを二匹見ることができました!!

 

ピアルドバコロニーは、駅から離れたところにあり、周りが農園に囲まれているので、とても静かで平和なところです。

 

就労という面からしかピアルドバコロニーを見たことがなかったため、今回のリサーチは様々な発見があり楽しかったです。

 

また全てのリサーチを通して、コロニーごとの違いを知るのはもちろんですが、自分たちの活動を知っている人に出会うことが多く、わぴねすと西ベンガル州のハンセン病コロニーの関係の深さに驚きました。

 

また、個人的には何よりも、様々なコロニーのリサーチ中に自分の大好きなマニプールコロニーの村人の実家を知ったり、「あなたマニプールの親戚の家で見たことあるわ!」と言われたり、マニプールへの愛が深まる出来事が多く、嬉しかったです。

 

リサーチ事業はこれで終了ですが、インターンはまだ後2ヶ月あります!

 

まだやれていないことを、精一杯楽しんでやっていきたいと思います!!

 

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