安定した仕事を辞めてNPO法人の理事になったときの話〜NPO法人って食べていけるの?編〜

カテゴリー:NPO法人わぴねす

こんにちは、わぴねすの理事をしている檜山です。

 

あまりブログには登場しないのですが、

今回は自分がなぜ安定したサラリーマン生活をやめて、

NPO法人わぴねすの理事に就任したかをご紹介できれば良いな、と思い筆を取った次第でございます。

 

目次

自己紹介

活動に関わった経緯〜キャンプに参加編〜

活動に関わった経緯緯〜理事就任編編〜

ぶっちゃけNPO法人って食べていけるの?

 

 
自己紹介
 

改めまして、NPO法人わぴねすの理事をしている檜山と申します。

大学卒業後、4年ほど不動産関係の営業の仕事をし、NPO法人に転職(?)しました。

 

元丸の内サラリーマンです。

 

ちょっとエリートっぽい雰囲気を出してみましたが全然そんなことありませんでした。すみません。

 

今年で30歳になります。

 

自分が30歳なんて信じられません。

小学生くらいからあまり変わってない気がするのは気のせいだと信じたい。

 

 

わぴねすは2016年5月に設立され、法人設立と同時に理事に就任したので、

NPO法人の理事になってからもう丸3年経ちました。

 

あっという間です。

 

3年間の間、丸々1年くらいはインドで過ごしたかな?って感じで、

インドと日本を行ったりきたりしています。

 

 

活動に関わった経緯〜キャンプに参加編〜

 

わぴねすは「インドワークキャンプ団体namaste!」という、

現代表の梶田が学生の頃に設立した学生団体が法人化したものなのですが、

 

当時の副代表(現在は団体から離れている・大学の同級生)から

 

「インド行こーよ」

 

と誘われ、

ハンセン病のハの字も知らないままインドワークキャンプ団体namaste!が主催する

第一回ワークキャンプに参加したことがこの活動に関わったきっかけです。

 

(当時滞在したビシュナプールコロニー)

 

海外には何度か行ったことがあったのですが、インドは初。

何もかもが新鮮で写真ばかり取っていたことを覚えています。

 

(コロニーに置いてあったサイクルリキシャ)

 

(コロニーのみなさん勢揃い)

 

(コルカタの道端でご飯食べているおばあちゃん)

 

インドはなに撮っても雰囲気でますね。

 

私たちワークキャンプはインドの村に2週間ほど滞在し、

様々なインフラ整備を行うというものなのですが、

その時は屋根の張り替え作業を実施しました。

 

(新しい屋根を貼っている途中の家)

 

当時張り替えた屋根はあまり質の良いものではなかったらしく、

後輩の子達がまた張り替えてました。後輩達よ、すまぬ。

 

そんなこんなでコロニーで2週間近く過ごしていましたが、

2週間もいると仲の良い村人もできて別れるのが寂しくて、

 

村人からも「寂しい、絶対また来てね」とか言われたりして。

 

当時、大学4年の9月だったので、翌年3月にまたこの村に来ようと決めました。

 

そして、翌年3月に渡印、就職してからも1度弾丸でコロニーに行きました。

 

 

活動に関わった経緯〜理事就任編

 

社会人になってからは1度インドには行ったものの、

仕事も中々忙しかったので活動自体は参加できておらず、

遠くから見守るっていう感じを続けていた状態ですね。

 

そして気づいたら社会人生活も4年目、

段々仕事も慣れてきて、

将来設計なんか考えたりして、

転職サイトに登録して、

 

まあ多くの社会人3-4年目くらいが考えがちなことを自分も考えていました。

 

そんなときに現代表の梶田から

「法人化するから理事になってくれない?」という依頼が。

 

その時は軽い気持ちで「いいよー」と返事しました。

 

元々学生のころに行ったコロニーの人々に対して

自分ができることがあればやりたいと思っていたので

活動に関われることが嬉しかったです。

 

もちろん仕事を辞めるなんて考えてもなかったのですが、

いざ理事になることを決めたら色々とやりたいことが出来てきて、

 

(その時に思ったものの一つが現在実施しているマイクロファイナンス事業です。)

 

元々自分で事業を立ち上げたいと思っていたっていうのもあるんですが、

甘々な試算をしたら「あれ?頑張れば自分の給料くらい賄えるんじゃない?」って思ってしまい、

 

そのままの勢いで会社を辞め、理事に就任と同時に無収入になりました笑

 

 

おまけ〜ぶっちゃけNPO法人って食べていけるの?〜

 

理事になったはいいものの、設立当初は予算ってなに?状態だったので、

もちろん給料の支払いはありません。経費も持ち出しがあるくらいでした。

 

ちなみに今も給料は0です。

なので食べていけていません。

経費は賄えています。

 

さすがに霞を食べて生きていくわけにはいかないので、

理事はそれぞれ個人で仕事をしつつ、残りの時間をNPO活動に充てているというのが現状です。

 

いわゆる複業ワーカーですね。

 

ちなみに私、檜山はネット広告関係の業務を企業さんから受けてご飯を食べています。

 

つまり、本業はネット広告のお仕事です。

費やしている時間はわぴねすの方が多い気がしますが。。。

 

ちなみにこれちょっと勘違いしている人が多いのですが、

「NPO法人は儲けてはいけない、稼いではいけない」ということはありません。

 

稼いだお金を給料として支払うのも問題ありません。

 

NPO法人の中にはちゃんと事業で利益を出して、

多くの人を雇用しているところもたくさんあります。

 

NPO法人だからといって食べていけないということはないのです。

 

わぴねすは現在、事業を回してお金を少しずつ稼ぎ始めているという段階なので給料がないだけです。

 

そこらへんは創業したての会社と変わらないですね。

 

今年からわずかながらですが給料がだせそうな雰囲気にはなってきましたので、

これからも地道に頑張っていきたいと思います。

 

少し、長くなってしまったので本日はここら辺で!

それでは!

 

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